聖徳太子関係年表

石田尚豊先生原本作成  講演に戻る

478 雄略22 倭王武(わかたける・雄略)
宋に朝貢して以来、安東将軍の冊封体制から離れる
538 宣化3 百済より仏像・経論を伝う(“元興寺縁起”)
552 欽明13・10 百済・聖明王  金銅釈迦仏像一躯幡蓋・経巻等を献ず
15・2 五経博士交替・博士以外に曇慧らの9人僧
新来の道深ら7人僧にかえる


16・7

蘇我稲目(馬子の父)を吉備5郡(主に岡山県)に白猪屯倉を置かしむ


17・7

      〃       備前の児島郡に遣し葛城直を田令とす
554 敏達3 聖徳太子誕生
3・10 蘇我馬子を吉備国に派遣
白猪屯倉と4郡を増益して名籍(令制の戸籍・計帳に近いもの)を白猪および膾津に授く
577 3・10 北斎滅ぶ
577 10 6・2 私部(后妃一般のために置かれた部)を置く
11

6・11

百済国王・遣使の大郡王に託して、経論若干、禅師・比丘尼・咒禁師・造仏工・造寺工6人を献じ、難波の大別王寺に安置せしむ
581 12 10・2 ・開皇元年
北周の勅命の譲をうけ、隋興る
新都大興城造営の詔あり(『隋書』巻一)
国寺としての大興善寺の造営始まる(『続高僧伝』巻二十一)
584

13

13・9

百済より 鹿深臣が弥勒石像一躯 佐伯連仏像一躯将来
585


14


14・2


馬子大野の丘に塔を建て、舎利を塔の○○に収む(大会の設斎の中に舎利を見出す)
疫病起り死者続出
15 14・3 物部守屋・中臣勝海破仏
587 16 用明2・4 敏達没後、用明も病にかかり、馬子強引に豊国の法師を内裏に入れる
17

用明2・7

蘇我・物部両氏の争い  物部氏敗北  崇峻天皇即位
588 18 崇峻元・3 百済仏舎利、僧とともに寺工・鑢盤博士・瓦博士・画工等を献じ、飛鳥寺の造営始まる
589 19 隋・開皇9
隋 陳(南朝)を滅ぼし、南北朝統一
591

20



隋の開皇11年 文帝三宝紹隆の詔を出す(『歴代三宝紀』巻十二)
592 21 5・10 飛鳥寺の金堂と歩廊(回廊)建つ
22 5・12 崇峻暗殺  敏達后妃の推古女帝即位
593 23 推古元・正 飛鳥寺に仏舎利を安置した塔建つ

593

24

・正・4

聖徳太子摂政(『法隆寺法王帝説』 「島大臣<馬子>と共に天下の政を輔ける」)
594 25 ・2・2 三宝興隆の詔出る
595


26





高句麗の慧慈と百済の慧聰来朝  太子慧慈をとし内経(仏教)を習う
慧慈・慧聰は三宝の棟梁となる
鄭玄の説
辛酉革命
596 27 4・11 飛鳥寺造り終え慧慈・慧聰  住僧となる
600 28 隋使派遣(『隋書』倭国伝)(『日本書紀に載らず
大将軍境部臣 新羅を攻め、任那の旧地を回復
29
601 30 ・2 (辛酉) 10・・・大変革
皇太子 初めて宝宮を斑鳩に建つ  9・5 天皇耳梨の行宮に移る
602

31

10・2

太子の同母弟 来目皇子を将軍 二万五千を率い、四月筑紫に到着
603 32 11・10 推古天皇10月 小墾田宮に移る
11月  皇太子天皇に要請  
     大楯 ○ また旗幡に絵がく
12月  冠位の冠を与える
604 33 12・正 官位12階を諸臣に賜う(元旦の儀式
34 12・4 皇太子 親から肇て憲法17条を作る
35

12

朝礼を改む
宮門の出入は両手で地を押し、両脚で跪いて、門のしきりを超えて、立って行け
605

36

13・4

釈迦丈六像・銅鋳造二躯 任挟待像に着手 高麗王黄金三百両を貢す
606


37


14・7


天皇 皇太子に勝鬘経を講じさせ、三日間に及ぶ(是歳法華経を岡本宮に講ず)
播磨水田百町を太子におくる  斑鳩寺に納る
607 38 15・2 壬生部を定む
39 15・7 小野妹子を隋に遣わさる
608



40



16・6→8



隋の国使 裴世清ら、六月難波に着き、八月入京  
飛鳥仏に対しては「来たりて之を奉る」(「丈六光銘」)とあり、
礼拝したことが分かる(翌17年4月八日完成)
41

16・9

裴世清一行(12人)および留学生8人を遣隋使・小野妹子に添えて遷す
618 隋滅び唐興る
620 42 28 太子 蘇我馬子と協議して、天皇記及び国記を録す
622



43



30・2



聖徳太子薨去  推古29年12月
用明天皇の妃で、太子の母である間人后が崩じ、太子と膳の妃は共に病臥し、翌、推古30年2月21日に妃逝く
翌22日太子薨去す
623 44 31・3 間人母后 妃 太子のために釈迦三尊像を造る  仏師は鞍作背止利
45 31・7 新羅大使来朝  仏像一具及び金塔あわせて舎利を貢る
また、大潅頂幡一具・小幡十二条を貢る
仏像は葛野の秦寺に、他は四天王寺に納む
625 46 33・1 高麗の僧 慧潅(三論初伝)を貢る  よりて僧正に任ず
632 47 舒明・8 学問僧・霊雲(学問僧・新漢人・日文)帰朝(新羅経由)
48 10 福亮(呉よりの渡来僧 三論宗) 法起寺金堂を建立 弥勒像を造る
639 49 11・7 詔して、大宮および大寺を造らしむ 百済川の側りを以って宮殿とす
是を以って西の民は宮を造り、東の民は寺を造る
書直県を以って大匠とす
50 11・9 大宮の学問僧恵隠(志賀漢人・慧隠)  新羅の送使とともに入京
51 11・12 是の月に百済川の側に九重塔を建つ
640 52 12・10 大唐の学問僧・清安(南淵漢人請安) 学生・高向漢人玄理 新羅経由で帰国
641 53 13・10 天皇 百済宮に崩ず
645 54 皇極2・11 蘇我入鹿 山背大兄を害す 斑鳩宮焼失
55 大化(孝徳)
大化の改新を始む
元・6
645 大化改新

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