三笠宮殿下のカーテンコール

会場の三笠宮殿下から、スライドをご覧になりたいとのご所望があり、杉山先生再度登壇.

杉山先生再登壇 講演 『ガンダーラ芸術と西アジア』 

今回のことで、打ち明け話をいたしますと、殿下はちょっとお体がご不調と承りましたので、なるべく殿下には、私の講演などお聴きにならずに、お休みになっていただき、あとでスライドを少しごらんになっていただきたいと申し上げたんです。本当はスライドがご希望だったのですが、講演もお聞きいただきました。
しかし、私はしゃべり始めるととまらないのでスライドを見る時間がなくなっちゃった。
しかし、有難いカーテンコールを頂きました。ちょっとやりましょう。


スライドの説明
スライド1
先ほど私が描いた地図の中に出てくるのはこの辺なんです。今言ったタシケント、ブハラ、サマルカンド、それから、ソグドというのは、ここに住んでいた連中の名前なんです。それから、バクトリア。ここにはバクトリア人がここにいました。
ホレズムというのは変なところで、ホレズム人というのもいないことはないというところ。
それから、ウラル山脈のところにサルマタイ、黒海の上にスキタイ、という遊牧民族が分布している。

シルクロードというものを考えると、どうしてもアレキサンダーにならざるを得ません。

これが有名なアレクサンドロスの首の部分です。これはイスタンブールの考古学ミュージアムというところにあるものですが、これが大体アレクサンダーのおよそ 27〜28歳から30歳ぐらいの頃の顔と言われていますが確証はございません。

彼は32歳ぐらいで亡くなるんですが、この彫刻を見ますと世界を席巻した青年の意気が感じられる。今の若者の顔にこうした覇気はありませんね。
私はこうした物を見るたびに、今の若者にこのかけらでも煎じて飲め、と言いたくなります。


これが博物館の一階に置いた、シドンというところから出た、アレクサンドロスの石棺と言われたものですが、これが果たしてアレクサンドロスを入れていたものかどうかは、確証がございません。
吉村作治氏は、「これは近世のにせものだ」と言ったんですが、これもちょっと言い過ぎでありまして、「おまえ、そんなこと言って大丈夫か」って言ったのですが。

ここに出てくるのは獅子のヘルメットをかぶって、大体ペルシャ人の傭兵たちと戦っているアレキサンダーを描いてある立派な石棺です。これが大体アレクサンダーと考えてもよろしいでしょう。
スライド2 



ダーダネルス海峡
スライド3

ここはイスタンブールで向こうのほうがウシュクダラ、そしてボスポラス海峡ですね。これが東西の架け橋になる。

ダーダネルス海峡を渡り、またレバントをおりてくるのでありますが、こういう海峡を越えていったのだと想像していただきたい。


これが有名なイスタンブールのブルーモスクであります。
イスタンブールというのは国際的都市であります。

ただ、今は大変なことになっちゃいまして、日本の一円が向こうの大体千円ぐらいになっておる。だから、千円出すというと百万円の札が来るというインフレであります。この辺は人種の展覧会として見てもおもしろいところであります。
ジプシーもいます。
スライド4

ブルーモスク

スライド5


これはバビロンです。

メソポタミアのバビロンを現代復元したものでありまして、この中へ入っていくというと、有名なバビロニアのハンギングガーデン(空中庭園)や、イシタールゲートというようなものが出てまいります。










スライド6

これはバビロンの、バベルの塔があったところなんです。

今はへっこんじゃっている。この塔に登って神と交信せんという、いわゆる山地をもって交信せんという古代人の意気を見せたバベルの塔は、今はこんなていたらくになっております。


これはジグラットという煉瓦で築いたものだったのですが、こんなようになってしまいました。今は地平よりもへっこんだところに、バベルの塔の遺跡がある、ということでございます。

スライド7

イシタールゲートの中にある煉瓦でつくった浮き彫りの、麒麟のマークみたいなものですが、こういう怪物がガードの役をやっているのです。
よくごらんになると、前足はライオンの足で、後ろは猛禽類の足になっていて、先が竜の頭みたいで、うろこがあって、尾の先がちょっとヘビみたいになっている。


一種の空想上の怪物でありますが、これがイシタール神の一種のガードマン、またはお守り役で、粘土で組み立てて、元来はこれは釉薬が施してあったんですね。

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スライド8

今のバクダッドのイラクの博物館にあるライオンです。釉薬のかかったものはタイル状で出てくるのが普通です。釉薬の発明は紀元前4年頃。アッシリアあたりからの遺物です。

釉薬の文化は紀元前4世紀後期頃から出てきて、ユーラシアを通り、最も活性化したのは中国です。


スライド9

これが南の粘土文化ウルという、いわゆるシメール文化
このような平地に人工で山を築き、この上で神官が天の神様と交信をする。
ここは全く真っ平らで煉瓦でできている。もちろんこれは最近の修復で、中に元の神殿が残っています。

おそらくこんなようなものであろう、ということで修復されたんですな。

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スライド10

これがボルシッパと言いまして、前のスライドの場所に近いところにあるジグラットの残骸といったものです。

旧約聖書では、ここの連中の行いがよくないので、神が罰を下して、雷で滅ぼしたと言われております。ちょうど雨季のときに、四輪駆動の車で入ったときの写真であります。

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スライド11

これがアカルクーフと言います。

アッシリア時代のバグダードから南のほうへちょっと行ったところに、やはり大きなジグラットの一部分がありました。こんなスフィンクスみたいな感じで残っている。これらもアッシリアのジグラットという人工の山なんですね。
つくり方を見ますと、煉瓦とハンチクという、シュロといいますか、ナツメヤシの皮で築いていったというのがよくわかる。そういう意味で、このアカルクーフは名所になっております。



スライド12

メソポタミアのチグリス川とユーフラテスとの間にハトラという遺跡であります。

昔はなかなか行くことができなかったのですが、今はモースルというところからいとも簡単に行けるようになりました。
東の地平線からお日様が上がって、西の地平線に落ちるのを完全に見ることのできる砂漠の真っただ中にあるキャラバンシティであります。この辺が主要な神殿で、鋸の歯のように見えるのは、これは内城壁の望楼です。

今、私が撮っているところは、外城壁の二重の円形都市でありまして、ここはまだ全然発掘されておりませんが、これを発掘いたしますと、ここから中国の絹布もローマのコインも、青銅器も、ガラスも出てくると思われます。イラク政府はここの一部分を修復しただけですので、我々にここを発掘させろと何度か言ったのですが、彼らは百年かかっても、二百年かかってもおれたちの手でやるんだと言っております。
発掘したら何が出てくるか、大変おもしろいところです。

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スライド13

ここは内城壁の望楼です。なぜこれが栄えたかというと、ここに大きな湧き水があったからなのです。今でもここを通過していくベドウィンたちは、ここで十分水を蓄え、家畜その他に水を与えて移動していく。これがかつてのこの都市の心臓部であったというのがよくわかります。


スライド14

ここが修復されてギリシャ神殿と言われておりますが、このように石を積み上げまして、ギリシャ的につくってあります。
またこちらの部分は、石よりも煉瓦を使っていたのです。
こういうモースルでつくられた大理石で造ったギリシャ神殿ですが、ここにいろいろな装飾模様がある。これに日本にはこれに非常に近い装飾模様があるんです。



スライド15

これが先ほど言った、ハトラというところで出てきた卍崩しの模様です。
こういう模様がシルクロードに伝わって、日本の仏教文化の中に入ってくる。法隆寺の金堂の塔の一部にこの意匠が見られます。

正倉院
の御物の中にもこの意匠があります。正倉院の御物のルーツを辿れば西アジアに行きます。

スライド16

これは葡萄唐草模様
これも先ほどのギリシャ神殿の上に乗っかっていたものですが、これと全く同じものが奈良の薬師寺の本尊の台座の中に出てきます。

こうしたもののルーツもすべて、この辺にあり、当時の文化というのは、非常に大きくユーラシアを動いていたという証であります。


スライド17

これはヨルダンのゲラーサというキャラバンシティの神殿。ここから水がわいて、滝のように流れる。

ニンフォーラム(ニンフ・水の妖精)と言う水の神さまの神殿で、こういうものがキャラバンシティの中枢部をなしています。これと同じようなことが、パルミラという都市にもあります。

スライド18

今言ったゲラーサジェラーシという中央にこうしたフォーラム(円形広場)があります。私が撮ったのは、約八千人から一万人入ることができる円形劇場から凱旋門で、キャラバンの連中がここへラクダをつなぎとめて、交易をする場所です。当然ここには人間や家畜のための、ないしは人間のための水が地下水道となって主要な道路の下にある。しかも横にも引かれて、下水処理もできるようになる。




松戸の博物館の周辺は、つい最近下水道ができたばかりで、そういうことから言えば、ローマの時代のほうが進んでいたようです。


スライド19

これはゲラーサニンフォーラムを下から撮ったものです。先ほどのは上の部分で、ここから水が滝のように出て、そこにそのニンフの像がありました。

今、そのニンフの像はなくなっちゃったんですけれども、これがこの都市の中心部です。水を持って支えられた中心部はこういうものだということなのであります。


スライド20

これがいよいよサンチー
紀元前3世紀頃のインドの原始仏教では、泥でつくった土まんじゅうを石で補強したものでストゥーパと申しました。

これはアショカ王の頃にイオニアの工人がやってきて、やがてそれをこういう形に石で補強しました。これは石で造った門で3本の梁がありますが、鳥居の原形みたいなもののようです。


これが東西南北四方に分かれていて、欄循と言う玉垣が見えます。いろいろなデザインがあります。そのうちの一、二をごらんいただきます。

スライド21

ごらんになればわかりますように、この辺は鳥居の形の門に細かく彫刻が施してあり、ここにお話が書いてあるんです。
それから、転法輪という輪がある。また菩提樹台座がありますが、これはお釈迦さんがお説法をしておるところであります。

また獅子が周りにいるだけじゃなくて、こういうところに変な怪獣が翼を延ばして表現され、避邪の霊であることがわかります。


これはサンチーの中にある「尼連禅河渡渉の奇跡」と言われています。ここにいるのが、これは後にお釈迦さんのお弟子になった、火を扱う、すなわち、火遁の術をやるマハカシャパ(摩訶迦葉)で、場面下の右端に菩提樹があるけれども、実はお釈迦様が彼らと話をしていることを表しています。

どんな話をしているかというと、「おまえたちは火を扱うけれども、おれは水を扱っている。これからこの川を泳がず、歩いて渡ることができる」と宣言するんですね。この連中は、「そんなことができるはずはねえ」と言ったんですが、お釈迦さんは川にざぶざぶと入っていった、というところがこれなんですね。

連中はあの男は溺れるかもしれないと思って船を出して助けようと思ったんだが、お釈迦さんはずうっと歩いていっちゃったと、こういうんです。
 なぜ「尼連禅河渡渉の奇跡」が起こったかというと、わけは簡単で、私も実験したことがあるんだけれども、水や食料の携帯に使うヒョウタンを空にして腰に巻きつければ浮くんです。そして歩いていく。これは腰舟と言われて、中国の文献にも出てきます。


スライド22(写真の焼き方が逆)

これはまさにお釈迦さんが、遊行者として、腰舟を使って川を渡り、マハカシャパ達が「おれたちは火を扱う火遁はできるけれども、水遁はできない。でもあの男はできた」とびっくりさせたこと。その後にお釈迦さんの弟子になった、というお話がここの中に書いてあるんです。
我々はこれを見ただけではお釈迦さんと思えないが、そうしたお釈迦さんのしたことを表現しているんです。

スライド23
これは、ここに猿が変なお椀を捧げています。
これは有名な「猿猴奉蜜」と言って、お釈迦様が座って苦行をして、心身ともに疲弊をし、立つことができなかったときに、猿がロイヤルゼリーを持ってきて、供養したという話がここに書いてあります。それを周りの人たちが賛嘆をしている。ここにお釈迦さんという人がちゃんと座っていると言うんですが、お釈迦さん自身は書かれていません。

これがギリシャ人やメソポタミアの連中にはが理解できない。
そこでなんとしても目にみえる人間として表現しようじゃないか、ということがガンダーラ美術の一つの起源となったのです。





スライド24

これはバールフトというところで、ここでもこれもお釈迦さんがここに座っている。そして、おそらくここでお説法をしているということになっています。人々がガーランドという花綱をかけて周りに集まりお釈迦さんに供養をしている。これも、本来はここに座っていなきゃならないんだが描かれておりません。しかし一部にはブラフミーという文字で、このシーンの説明が書いてあります。

ブラフミーとかカロシティという言語は、今は解読できておりますので、彫刻のルーツや、何を表現したのか、だれがつくったのかもわかります。

スライド25

ガンダーラへ行きますというと、さっきのストーパの土饅頭形式のものが建築装飾と仏・菩薩の像を配していきます。
上にも傘蓋が造られて後の五重の塔になります。 この半分以上が本来はストーパで、下にあるものをストーパと呼んではいけないんです

これはお釈迦さんのお骨を入れて供養したりするんです。仏さんたちがこの中をお守りしている、というのが、ガンダーラあたりからこのようになって、それがどんどん発達して、木造で建築すると日本の薬師寺とか、法隆寺の塔のようになるわけです。










スライド26

これはイラン高原のフィルザバートという煉瓦で築いたササン朝のアーチ状の宮殿の廃虚でありますが、これが後のイスラムのドーム建築となります。


スライド27

これがタクシラという都市遺跡にあるストーパの小型のもので、この上にもちろん大きな屋根があります。こういうもので供養をしていたというところがよくわかります。

スライド28

これは有名なラホールの博物館の中にあるストーパの側面に書いてあるものです。

これにもお話が書いてありますが、実はこの人は、お釈迦さんじゃなくて、前世のときに出てきた仏さんでディパンカーラといいます。これが後にお釈迦さんになるわけでありますが、燃燈仏(または錠光仏)という肩から炎を出す仏さんを、スマーダという男が娘さんから花を買って供養しようと歩いていたときに、道がぬかるんので、この男は膝をついてぬかるみに髪の毛を敷いたんです。
そしてこのディパンカーラ仏陀が、足を汚すことなく行けました。

仏陀が右手を挙げていますよね。
これはおまえは将来、必ず覚者、すなわち仏陀になるという予言をしたところです。そのとたんに、この若者は空中に飛び上がり、そして、持っていた五本の蓮花が散華したという、有名なディパンカーラジャタカ(本生譚・ジャータカ)というお釈迦さんのすぐの、最後の前世の話。これがやがて、次のお釈迦さんに生まれ変わるという有名なお話なんですね。

こういうお話というのはたくさんあるわけですが、これを造形化したやつで非常にいいものが、ペシャワールカーブルにでる。


スライド29

これがカーブルの博物館にございます。これも下から水を噴いて、肩から炎を出しております。これは『舎衛城(シュラヴァステー城)の神変』という言い方をする水遁の術と火遁の術で、ついに飛翔まで行ったという、お釈迦さんの万能ぶりを示した話を造形化しています。

その一つとして、供養しにきた連中に、「ヨッシャ、おまえたちにもしもめごとがあれば全部引き受けるよ」という「施无畏」をやっているところです。




スライド30

この浮き彫りもガンダーラ彫刻で表現されたディンカーラ本生図です。

青年スマーダ(スメーダともいいますが)が左から一回、二回とここに出てきて、最後に飛び上がるんですね。そして、こちらに燃燈仏が右手で約束の印相を示しています。お話の時間的推移を示して一つの物語にしています。ここにグラージャータカと書いてあるんですね。



スライド31(逆焼きになっています)

これが有名なカーブルにありました。今は行方不明になっていますが、一説にはロンドンに出たとか、日本に行ったんじゃないか、などといわれているものです。
約二メートル。
これも、ここにいて、飛翔するディパンカラ仏で、足元に毛髪を敷いて膝まづくスメーダ

過去仏、当来仏、そして未来仏のマイトレア弥勒菩薩)の三つを組み合わせているという意味で、非常に有名なものです。 今のアフガニスタンではあぶないので、お国がちゃんとしたら返すからそれまで日本で預かるよ、という形で日本に持ち込むことが出来ればいいんですが・・

アフガニスタンがちゃんとするには、おそらく百年か百五十年かかることは間違いないんですから、こういうものは格安に出たらすぐ持ってきて、この博物館に飾るべき、というのが私の意見です。







スライド32

これは、インドがまだお釈迦さんを表現しないときに、今で言うガードマンの門神ヤクシャー)が合掌しているところですが手を挙げている「施无畏印」というのは全くありません。それのいい例です。

今のカルカッタの博物館にあるもので、こういうようなところで、いろいろな格好をしているが、右手を挙げて宣誓をするような印相は全くありません。



スライド33

右手をあげて宣誓しているアッシリアまたはバビロニアの王様です。ここではこういう「錫杖」を持って右手を挙げて、その天空神に宣誓をやっているシーンがたくさんあります。

一番いい例を探したんですが、見つからなかったのでアケメネスの有名な右手を挙げているものをお見せしましょう。








スライド34

これが有名なペルセポリスのアパダーナのところにある、アフラマズダ神が右手を挙げているものです。

左手にディスクを持ち、王様に王権を親授しているところです。向こうが右手を挙げているのに対して、下の王様もこちらから右手をあげて王権を間違いなくいただきました、といっているところです

こうした造形表現がガンダーラ美術に影響してディパンカラ本生図となり、「施无畏印相」が確立しました。


これは全部私の写真であります。いろいろなところを旅行して撮ったものですが、約三千枚ありますので整理するのに実に時間がかかるわけです。しかしまた機会をつくってぜひ見ていただきたいと思っております。

五時を過ぎました。五時半からパーティーです。私もそろそろ一杯やりたいのであります(笑)ということで、この辺で終わらせていただきます。(拍手)
文責・稲葉
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