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【生徒】
日本は明治維新の時、フランス法律を作ってもらったという話を聞きましたが、その国の慣習となる法律を外国に作ってもらう、などという事にかえって外国がびっくりしたらしい、というのを読んだんのですが・・・
【先生】
今のパソコンのソフトについてもまったく同じ考え方でいるんです。面白いのは条文化はするんだが、その条文を遵法することについては日本はフランス社会よりずっと「いいかげん」になれるんだ。
【生徒】
その「いいかげんさ」がいいという気持ちと同時に、何かおかしいなと思うんですが・・
【先生】
それが大正、昭和、戦前における法解釈という中で、エスカレートしていってしまったんだ。
それが第二次大戦に入って行く一つの原因にもなったんです。
治安維持法についても法廷で戦ったんですよ。左翼、共産党の連中は・・・
しかし、法解釈をどんどん拡大解釈していってしまった。これが日本です。
法解釈の問題でも外国は戦えるんです。
日本はどんどん拡大解釈してしまって、最後は統帥権という問題になって、大元帥陛下にまでくっつけてしまった。
それではいけないんです。
ところが戦後もまったく同じことをやっている。
今度は左の言っていることを拡大解釈していって教育などにっちもさっちもいかなくなっている。
日教組の言っていることなども、昔の軍部の言っていることとずいぶん似ているね、と思いますよ。
拡大解釈を続けていると、また同じになって日本はだめになっちゃうよ。
「一回火傷をしたら、二度同じ火傷をしないようにする」 というのが日本にはないんです。何回でも火傷をするんです。
むこうはどうかというと、その傷をやたらといじくる奴がいる。
日本はいじくる奴がいないから、何にもしなくても直ってしまうんだな。そうするとまたやるんだ。
文化論としてそう感じています。
だから日本には法解釈として遵法しようという気がない。市民のなかでもおなじです。
「ここには自転車をおいてはいけません」と書いてあっても平気でおいている。これは法律を守ることの出来ない市民なんだ。
外国では電車の中でも規則を逸脱するものは、引きずりおろす。乗せないんだ。
しかし日本ではそういうことはないだろう。金を払えば・・などという。
だからここに出てくる問題は(江藤淳 『閉ざされた言語空間』)日本のそうした事情をアメリカが逆手にとって、また日本が見事にひっかっかってしまったということを江藤淳が書いているんです。
徳富芦花の名講演も初期の芦花全集にはあるんだが、その後は消されてしまった。
【生徒】
ヨーロッパ社会は、なにがなんでもキリスト教で、石にかじり付いてもそれをまもる、というところからきているとそうですが・・・
【先生】
日本では、お祭なんかでも、神様の都合より人間様の都合でいっているんだから、それじゃだめだよ。そのへんもおかしいよ。
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チュートン文化
ところで、ヨーロッパ文化と日本との関連について言うと、ゲルマンの大移動の時、北に行ったものの一部がスウェーデン・ノルウェーからおりてきて、ヴァイキングになった。
あれはチュートンと言うんだが、それがバルト海を通って、ドーバーを通ってイギリスに入る。これをチュートン文化といいます。
オランダがその文化で一番はっきりしているところです。
イギリスもチュウトンです。だからイギリスのところにはあるときにローマ・ブリテンといって、ローマの軍が植民地化した。だからほんとうの純粋チュートンのものではなくて、ラテン系になっちゃった。
しかし言語構造からいうと、英語というのはドイツ語に近い。
オランダも低地ドイツ語なんです。ドイツ語と英語がミックスしている。
文化系統でいうと北はチュートン。
我々がなぜ英語を中学から学んでいるかということも、日本文化のなかの外国からの摂取を、ラテンを切ってチュートンを選んでる。
ゲルマンに非常に近くなっていってしまう。その経緯が面白い。
ジェスイットが入ってくる16世紀に、日本にラテン文化が入ってくるんです。ジェスイットとして・・・これは純粋ラテンです。
ところが家康のころからそろそろ、イギリス人を可愛がる。三浦安針なんか。
日本人が感覚的にそれに近いんだ。ラテン系というとなんか違う感じで・・・
そうしてそのラテン系を切るのが、「寛永の鎖国」なんです。
そして長崎にオランダだけを入れた。チュートンだ。
その後明治維新前後になってから、幕府はフランスをいれた。だから当時はフランス語とイギリス語でドイツ語はずっとあとなんです。
幕府の軍制は全部フランス語で、一部はオランダからいれたんです。
ところが薩長は、特に薩摩はイギリスをいれた。
そして大政奉還になって、フランスからいきなりドイツに変えてしまった。
それはそのころ丁度プロシャが君臨しはじめて、名もなかったプロシャがフランスを破ったころ、伊藤博文達が使節で行って、これからはこれを学ばなければいけない、ということになって、軍制からなにまでみな変えてしまった。
法律も仏法から獨法に替えてしまった。
だから本当は日本人はもっとラテンの文化を大事にしてもいいよ、と思っているんです。
ラテンのイタリアは「いいかげん」だというが、俺達日本人に合ってるんだ。こっちも「いいかげん」なんだから・・・・・
文化国家といったら本来はラテンなんだ。英語など止めてフランス語にするのもいいんです。フランス語というのは覚えたら本当に簡単です。わたしは英語はぜんぜんだめなんだ。
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鉄の文化
【生徒】
私はドイツの道具がすきですね。
【先生】
それはどういうことかというと戦車、馬と馬車の文化、要するに鉄の文化なんです。
鉄の発生はヒッタイトといわれているが、その鉄をアーリア系の連中が最も機能化し、どんどん応用化して行った。
近世でも、今の東欧とラテンの間あたりにおいては生産力というのはあまりないんです。原料も・・・・
だから、いかに工業化のなかで強靭なものと作り上げ、売りだしていくかを考えた。
その一つはスイスの時計。
スイスがメカの世界のなかで活性化することを考えた。
武器はチェコ。
日支事変の時の鉄かぶともチェコ。これは強靭なものだった。
ドイツは産業革命のあおりをくったとき、ザール地方の鉄産業を活性化してもう一度なんとかしようということが、自動車産業となっていった。
光学、カメラもそうだ。レンズだけでなくボディーがいいんだ。壊れない。
僕なんかもローライフレックスを持って遺跡に入ったときなんかも、日本の物は三ヶ月で動かなくなってしまったが、ドイツのものは砂漠のなかでどんなことをやっても平気だ。アクセサリーなんかは日本のほうがいいんだが、機能としては文句のつけどころがない。ドイツの機械のすごさを感じたね。
フォルクス・ワーゲンにしても「動く箱」としては完璧だ。水に入っても浮かんでいる。
日本のものはそれの他にフィーリング、などということで肝心のところは抜けちゃうんだ。
【生徒】
でも日本のもののほうが人気があるんでしょう。
【先生】
それが、アメリカで車について言えば、おやじさんはアメリカのものを使う。ところが奥さん子供については、機能よりフィーリングを楽しむ。レジャーなんだ。
今の日本の車産業について言えば、レジャー産業に適した車種であったりする。
だから彼等に言わせると、「日本製は使い捨て」なんだ。親父さん達はちゃんとしたものを持っている。その差なんです。
またアメリカについて言えば、日本は戦争でみな焼けちゃった。アメリカはそうでなかったからなにか生かして使うことを考えなけりゃならない。だから小型車を作ろうと思っても日本の小型車の倍のコストがかかってしまう。
はじめは日本人の働きすぎのせいにしていたが、それが段々通用しなくなっていってしまった。
また、今は本当に必要なものでなく、もののあり余った時代のなかで、レジャー産業的な性格になってしまった。ビデオ、テレビなどについても、どうせこれはお遊びだよ、という「イミテーション文化」になってる。世界中が・・・・
昔は本物志向だった。カメラだったらライカ、ローライ、ハッセルでなけりゃ、プロは使えない。ところが今は、プロとアマのちがいがあらゆる点でなくなってしまっているから、なんでもいいんだ。
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ド イ ツ
【生徒】
でも今ドイツが変わりつつありますが、どんなふうに変わっていくんでしょうか。
【先生】
東ドイツの存在の意味がなくなって来るね。統一の可能性もあるがそれをいちばん怖れているのがフランスであり、バルカンであり、イギリスなども怖がっているんじゃないかな。とにかく何をするかわからない。
日本などは金玉ぬかれた家畜みたいなもんだが・・・
ミュンヘンに行ったときも彼等が言うんだ。
「第二次大戦もイタ公なんかと組んだから負けちゃったんだ。今度は日本とドイツで世界を征服しよう。戦争なんかボクシングみたいなもんだ。一度ぐらいアッパーを喰らって、カウントテンくらってもいつまでも長々と寝ている馬鹿はないじゃないか。立ち上がって今度こっちで一発やればおつりがくるよ」なんて・・・恐ろしいよ。あいつらは・・・・
それがいいとは言わないけれど、それくらいの不屈の精神があってもいいね。ようするに生き生きしている。
イスラエルに行ったときもイスラエルの青年達が銃を持っているんだが、彼等の目の生き生きしていること。
【生徒】
日本人とドイツ人の似ているという点はなんですか。
【先生】
ある方向を与えられると、それに突っ走るということかな。
【生徒】
土産物屋に勤めているときに感じたんですが、一人が買うとみな同じものを買うんです。団体行動をとるんです。ドイツ人は。
【先生】
日本人と似てるんだよ。それをフランス人が軽蔑して「ドイツ人は田舎もんだ」と・・・・・・
言葉の上でも、英語は海賊の言葉。ドイツ語は馬の鳴き声。フランス語は神の声、というんだ。
ほんとに田舎もんと思ってるんだ。
【生徒】
ドイツの「国家」に相対する言葉がイギリスにはない、ということを聞きました。「祖国」に匹敵する言葉も、イギリスにはないそうです。イギリスではエンパイア、ガバメントとのことですが。
【先生】
ガバメントとかステイツなんだが、ステイツはドイツでは「シュタット」と言うが、シュタットというのは本来「都市」なんです。
「都市国家」がシュタットです。第一次大戦で負け、第二次大戦でもやられたが、またやるぞ。統一したら何をやるかわからない。
それを心配しているんだ。
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アーリア人
【生徒】
ドイツ人が、国境もないようなヨーロッパのなかで「ドイツ民族」という自意識を特に持っているように思っているんですが、その理由は一体なんでしょうか。
【先生】
ゲルマン民族はアーリア人なんですね。
アーリア人というのは南ロシア、コーカサス地方にいたんですが、アーリアンという言葉には「優れたるもの」という意味があるんです。それがちらばっていった。
ひとつはギリシャにはいった。ギリシャ人はアーリア人なんです。
もうひとつはイラン高原にいきました。これがペルシャ帝国をつくった。
もうひとつはインダス文明をつぶしてインド人になった。
だからサンスクリットとギリシャ語と中世のパフラビという言葉は全部グランマーが同じなんです。
そのようにアーリア人が南下していったんです。そしてもののないところでは商業活動などで活性化していった。そして、そうでないところでは収奪することによって活性化していった。これがペルシャ帝国です。
インドにおいてはガンジス川という肥沃な環境にのっかって食うことを考えていった。そのなかの一部分が、西へ流れていった。バルカン半島をぬけてね。
だからバルカン半島というのが第一時世界大戦の時の火種になったということは、いったい何だったのか、ということなんです。バルカン半島のブルガリアを経過して上へあがっていったのがドイツなんです。
なぜヒトラーがハーケンクロイツ、かぎ十字をつくったかというと、あれはアーリア人のシンボルなんです。
元来丸に馬と車をかいたのです。馬車の車輪なんです。それをいっぽうに曲げたんだ。
仏教と反対にむいているんですが、釈迦も元来アーリア系だったからなんです。そこでヒトラーはハーケンクロイツを顕在化して、我々は「もっとも優れた民族・アーリア系の後嬰」であるということを表したんです。
【生徒】
それがドイツ人の自信満々の源だったんですね。
【先生】
そうなんです。
われわれは、かつての優秀なギリシャ人の肉体と、インドの深遠なる思想と、ペルシャの力とを持っている。
マインカンプを読むとインドまではアーリア系で、当然われわれが所得するべき領土で、最後に対決するのは日本であると書いてあるんです。
そしてその周囲にはラテン系民族が地中海諸国にいっぱいいます。ローマがあります。
ローマ文化はギリシャ文化の後嬰ではなくて、ラテン民族ローマの文化なんです。
アーリア民族の文化ではないんです。それからフランスも・・・・・
【生徒】
ベルリンの壁は結局なくならないわけですか。
【先生】
早晩取り払われますよ。いま東の壁はあってないようなもんです。むかし僕等が行った時は、朝入って夕方戻るんです。
そのころ東ベルリンにエジプトの資料を見にいってきたんですが、西ベルリンに入ってみると、まったくちがう。
早晩いろいろな問題を起こすな、とは思っていました。格差がひどすぎるんだな。東ベルリンの人は逃げたいんだよ。
【生徒】
東ベルリンで売っているテレビが西の様子を映しているとかききましたが・・
韓国と朝鮮とはぜんぜんちがうんですね。
【先生】
朝鮮の場合とは民族的にいってぜんぜん違うんだ。
北朝鮮はツングース系です。言葉も若干違う。
わたしも北朝鮮の言葉をつかったら韓国へ入ったらお使いにならないほうがいい、なんて言われたことがある。三十八度線で割ったということも、戦略的な意味で偶然のようだが、民族的意味においてちょうどいいところになっている。
高句里と新羅、百済です。
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アングロサクソンとラテン
【生徒】
ところで、ドイツ人はアングロサクソンを馬鹿にしていた。彼等には文明はあるが、文化はない、なんて言ってたと聞きますが・・またラテン系のフランス人などは、国という意識があまりないように見えますが・・
【先生】
ぼくは第二外国語はドイツ語だったんですが、あるところからラテン系のものに興味をもってフランス語をやったんですが、文学などでもフランス語は面白いね。音楽などでも特に近世のものなんかは、いいと思いますね。
音楽でも、ドイツというのは古典主義の時代にはバッハからベートーベン、ブラームスまでまでは面白いとおもうが、ローマン派にはいってくると、ラテン系の、フランス系のドビッシーとかラベルとかからはじまっているんですが、そのへんにはゲルマン系のものを感じますね。
【生徒】
芸術など感性を必要とするものについてはラテン系のほうに感じるものがありますが、国というものに対する考え方、理屈とかいうものに対して、確固たるものを持っているのかと思うのですが・・・
【先生】
ラテンのフランスなんかは国と言うよりも、どうやって個人が生活を楽しむかという考え方があるようで、そういう意味でやはり国境というものを設定せざるをえなくなっていったんじゃないでしょうか。そういう考え方の仲間でまとまる、ということです。
そういう意味ではまとまるんだが、平和の時には、あのくらいまとまらない国はないんです。
ある人がこういうと、それに反対する意見を出すのが現われる。
だからドイツはフランスを軽蔑して、「あいつらはまとまらないんだからわれわれが立ち上がれば、いとも簡単にやっつけられる。マジノラインなんていうのもなんて事はない。簡単に越えられる」とヒトラーは豪語していたわけです。
しかしドイツのように統一されていることによって、形が成り立っているところは、一つでも統一が欠けた場合崩れるというようなことがおこる。
統一の恐ろしさは、一つでもその条件が欠けたとき崩れるということが起こるんです。
ところがフランスのように雑多なところでは、一つ欠けようが、二つ欠けようが、蛸みたいなもんでへっちゃらなんです。
ドイツは鮫みたい感じです。そういう国同士が隣あわせでいるところがヨーロッパ社会の面白いところですね。
昔から、古代末時代から、ローマからこっち側にラテン系のローマ帝国というのがあったんだが、その境は欝蒼とした森林帯でね、野蛮人のゴールという民族が、毛皮の着物を着ていたのが今のフランス人になった。
だからドイツ人は、フランスが今、恋だの何だのなんて言ったって、昔はゴール人じゃねえか、カイザーが最も恐れたのはわれわれアーリアである、なんて思ってるんだ。
【生徒】
一丁目のドイツはT君だな。
【T君】
いや一丁目にきたからドイツ人になったんだ。
【生徒】
村八分を楽しんでるんだ。孤立を楽しんでるんだ。
【先生】
いや、市民社会というのは、そういう人たちがいることが必要なんだよ。
はっきり言うと、日本の市民社会というのは村からだけ発達しちゃってるんだよ。
*
都市と市民
ところが本当の市民社会はどういうものかというと、「どうあってもこれだけは譲れない」というものを持っているもんだ。そして、それを守っていく。右だろうと左だろうと・・・・・
そういうものを含めて生きているのが「都市」なんです。
日本の「都市」というのは、東京でも京都でも、村落がそのまま大きくなって都市になったというのにすぎないものなんだ。
本当の意味での「都市」、ドイツ語で「ブルク」というのがあるんだが、それは城を意味しているんだ。
その城のなかに生きていくということはなんなのか、というと、その城の周りは敵。
だからその中においては規律が必要だが、その規律の仕方というのが、敵と戦うときだけ団結すれば、後はどうでもいい、という考え方がある。
しかし日本においては、城という考え方でいくと城壁もなく、ただ広がっちゃっただけで、そこでは村長がこうやりましょうなんていうと、みんなが「ハハー」なんていう感じ・・
【生徒】
松戸と似てますね。
【先生】
いい例だ。要するに城下町というものにしても、武家社会ということで城が存在しているに過ぎない。
【生徒】
日本の都市は量が違うだけで、むこうとは質が違うんですね。
【先生】
ただ本当の市民社会は、悪政者の出現によって目が覚めるんだが、ほんとにひどい「大名」というのは日本にはいなかったんだ。だから市民社会が出来ないんだ。
【生徒】
そういえば、日本には民衆への残虐非道の圧制者っていなかったかもしれませんね。織田信長だって、比叡山焼き討ちは坊主だけに対してで・・・
【先生】
だから京都なんかにおいても、町衆というものも、そんなにたいしたもんではない。
そういう点からは、西洋的な感覚を持っていた町衆というのは「堺」ですよ。
だから、松戸が今後見習うんなら、堺のような自治組織、千葉県のなかでも憎まれっ子で、中央に対しても「中央なにするものぞ」というとしなることもいいんじゃないかな。
「町衆」というものの研究も面白いよ。利久もそうですね。
【生徒】
でも堺も経済力があったからそうできたんじゃないですか。
*
四 神
【先生】
そう。ただ何処でどうするかということについて考えると、今は量の時代で、金を持っているということを現在量として考えているが、質ということで考えるとまるでちがってくる。
だから、お金を持っている、ということでただ満足するんでなく、それを活性化することで何倍にすることもできる。
とにかく市民層が「量」から「質」への変化しなければいけないないときじゃないかな。
さっきの山車・「四神けん」なんかもそうだよ。
四神けんの起源についていえば、天武天皇の御即位のときにさかのぼるんだ。しかし、それは細々とやっている神社に残っているんです。
四神けんが民衆の祭礼のなかにおいては活性化されていないんです。
室町以後、どうも四神けんがうごいている様子がない。
京都の祇園なんかでも四神けんがない。
【生徒】
船橋の大神宮に聞いても四神けんを知らないっていうんです。(四神復活顛末記)
【生徒】
四神けんの「けん」というのは剣ですか。
【先生】
ちがう。「けん」は旗の意味なんです。絹の意味です。市民の祭りに入って来るのは江戸になってからですが、昔は宮廷のものだったんです。
【生徒】
しかし、松戸神社に残っていたというのはどういう意味ですか。
【先生】
あれは国家管理的な中では使えなかったんだ。
官弊大社的な中では使えなかったんだ。畏れおおいから・・・・
でも民衆の神社はつかえたんです。
それで民衆の祭が使いだしたわけです。格式のあるところはつかえなかったんだ。
松戸神社は官幣大社でなかったから使えたんです。大嘗会なんかに使うもので、畏れおおいものだったんだ。
たいしたものだから、これからこしらえるなんていったら大変なものだ。
せっかくあるんだから大事にしなさいよ。
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